Kitaland

10代で札幌に移住して気づいたら30代半ばになっていました

病気をして向き合うことができた自分の人生のこと

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札幌移住やらお金のことやらを中心に書いているブログですが、センセーショナルな感覚に浸っているので、たまには一身上のことを書きます。人生と仕事と人との関わりに関する、とても大きなことです。

 

「病気」と聞くと嫌な気持ちになります。それが人生を左右するほどの病気だったらなおさらです。

僕は数カ月前に病気をし、「ブログのネタになる」なんて笑いながらネタにし、ポジティブなふりをして過ごしてきましたが、いざ書こうとしたら心が記事に向かいませんでした。潜在的に自分がした病気について掘り起こすことを避けていました。思っていたいより自分の心は傷ついていました。

幸い今は病気の後遺症もなく、精神的なわだかまりだけが残っている状態です。

あれは人生で初めて「死」を垣間見た瞬間だったかもしれません。

自分の病気についてインターネットで検索をすると、ネガティブな情報、不安を煽るような情報ばかりが検索上位に乱立しています。googleが健康系キーワードをアップデートをし続ける理由が本当の意味で分かりました。というよりも体感してしまいました。

月並みな表現ですが、インターネット上には無益な情報や悪意に満ちた情報、商魂たくましい情報が散乱しています。

これだからインターネットは駄目だと言いたくなりますが、考えてみれば現実社会も同じですね。

インターネットはもはや仮想現実の域を越えて、現実その者になっていると実感しました。

幸か不幸か、病気をしている間に実に多くの書籍を読むことができました。健康系の本から世界の歴史まで。『知は力なり』ですね。

書籍を読む中で、心に留まった一節がありました。病気をしていた人ならではの視点です。

『病は気からというけど本当にその通りで、病気は言語化できなかった心のサイン。

病気になるほどに言えてないことが潜在意識の中にあるはずです。それと向き合いましょう。』

自分なりにそのことについて考えてみました。

 定時に帰ることに、どこかで罪悪感を感じる自分がいた

ここから先書くことは実は一般的にある「入院中のベッドで考えた」というたぐいのものではありません。入院中はとにかく「元の生活を取り戻したい」という気持ちでいっぱいでした。

 

今振り返っていることは、病気をして、退院してからの「今」です。じわじわと思いがこみあげてきています。

 

 

もう割り切った!俺はやることをやったから定時に帰る!何も悪いことをしていない

親や友人、パートナーに対して、何度このセリフを吐いたか分かりません。

本当にそう思っていたら、こんな風にはわざわざ言語化しなかったような気がします。

 

どこかで後ろめたい部分があったから。いや、あるから。だからこんなことを言っているんだと思うです。(必至ではないけど)あたり前に残業をしている同僚をしり目に、そそくさと逃げるように帰宅する。理屈では正しいとわかっているけど、30代前半の自分がこんな働き方をしていいのか。悶々としながらも?いや、実は悶々とさえしていなかったかもしれないが、それでもその部分において、わずかばかりの負い目を抱えていたことを今となっては自覚します。

自分の中に住む二人の自分が不協和を起こした

無意識でしたが、僕の心は結局のところこの不協和状況に耐えられなかったのでしょう。入院という形で仕事を休むことになりました。

入院してから家族に笑いながら、「これで堂々と休める、堂々と早く帰れる」なんて冗談を飛ばしましたが、あれこそ僕の本音だったんじゃないかなぁと思います。

僕は負い目ゼロで、休みたかったんだと思います。周りに認められる形で、自分のプライベートを確保したかったんです。すごくわがままです。でもその一方で、仕事のレベルを上げるためにプライベートを犠牲にして、向上心を持って仕事をしている自分にもあこがれを抱いていたような気もします。

自分の中で矛盾な二人の自分がいたということです。

なぜ早く帰ることに罪悪感を感じていたのか

僕の場合は、「やるべきことをやったら(賃金が支払われている時間に対するやるべきこと)早く帰ってプライベートを確保して良い」と理屈で納得させようとする合理的な自分と、「プロとして仕事を究めたい」という古き良き(又は悪しき)日本人としての自分が住んでいます。

今回の病気はその二人が喧嘩をしたことによって起こったことだと解釈をしています。

ところで後者の僕は、どこで生まれて、ここまで大きくなったのでしょうか。

真面目で公務員気味な中流階級の家庭で育った

僕は自分で言うのもなんですが、とても幸福な幼少期~青年期を過ごしました。平均的な日本人の家庭で生まれ、母は自分に愛情をたっぷり注いでくれました。子供ながらに母が愛情を注いでいてくれることに良く気付いていました。

時代の価値観も反映して、「努力は報われる」という価値観のもとに育てました。従って我が家は努力することが大好きです。

一方で僕は、どちらかと言えばリベラルな環境で育ってきたので、個人の尊厳と自由をとても大切にする精神がはぐくまれました。このこと自体にも、恨みどころか育ててくれた両親には感謝の念しかありません。

 

ですがそうして誕生した性格が、「非合理的な努力を信じるけれども個人主義」です。

無駄な残業は許せないし、かといって伸びしろがまだまだある状態で仕事を切り上げる自分にも負い目を感じます。

この状態とうまくやっていくには、どちらかの自分に目をつむるしか方法はありません。

病気になって優先順位を本当の意味で整理ができた

そんな僕ですが、病気になって初めて、本当の意味での優先順位を整理することができました。これまで何度も優先順位を整理したことはありましたが、結局は「つもり」でした。

幸いなことに僕には、病気になったら心の底から心配してくれる人たちが何人もいました。僕はこの人たちともっと濃密な時間を過ごしたいと本能的に感じました。

自分のために旅をしたりブログを書いたりお金を稼いだりするのも楽しいですが、基本的には人とのつなががりこそが人生だって思い知りました。

仕事も僕が言うプライベートも、結局のところは自分基準の価値観です。そこでの時間の過ごし方ばかりを考えていた自分に対して、心の底から心配してくれた人々に対して、嬉しさが溢れてきます。僕はこの人たちをもっと大切にして生きていきます。

 

従って、優先順位で最も高くなるものは、大切な人たちと関わる時間です。これに変えられるものはありません。

 

こんな文章の流れでいくと、結局のところ仕事<プライベートという結末になりそうですが、若干そうもいきませんでした。

矛盾するようですが僕は職場の人たちには非常に恵まれていて、退院後はたくさんの人たちがまた労わってくれたわけです。

 

 

僕には大切にしたい人たちがちゃんといることが分かりました。繰り返しになりますが、人生において最も大事にすべきは関わってくれる人たちとの時間です。今なら自信を持って言えます。そのための生き方を貫きます。

おわり。