Kitaland

10代で札幌に移住して気づいたら30代半ばになっていました

池上彰『学び続ける力』の読書感想

人生、お金や旅行など、目先のことだけじゃつまらない。知性を深めるためには読書が絶対に必要だ。知はその人となりを創ると思う。

池上彰著の『学び続ける力』を読み、ブログに生かせることをまとめた。

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『学び続ける力』とブログを使ってアウトプットをすること

いつの時代も人間には潜在的な部分に「よくありたい」という願望が潜んでいる。少なくとも僕はそう思っている。

社会人は日々の雑務や仕事に忙殺されてそのことを忘れ、学生さんたちはアルバイトや恋愛に夢中で、いつの間にかこんな大切なことを心の奥底に封じ込めてしまっている気がする。

 

少なくとも僕自身はそうだった。

 

年末年始や春夏冬休み、長期休暇は、そんな日々に休息を与え、ふと立ち止まって「考える」チャンスを与えてくれる。

 

「すぐ役に立つこと」は「すぐ役に立たなくなる」。

 

そんなことを考えながらこの本を読んだ。

 

 池上彰氏の著書『学び続ける力』をゆっくりと読んだ感想

参考サイト等を読んで丁寧に記録しようと思ったが、何も参考にせずに心に留まった部分だけをまとめる方が本物の書評になるということを学んだ。それこそ本書にあるように、そのレベルこそがが自分の「まとめる力」なのだということを身をもって体感してみる。

情報を収集して一般化する。そこから新しい発想を生み出す

今のサラリーマンに決定的に足りていない点がある。ずばり『情報を収集して、新しい発想を生み出すこと」。

例えば僕たちは今目の前の情報を「消費」することが得意だ。得意というよりも、たいていの人はそんな情報の処理の方法しかできない。

分かりやすく言えば、「イスラム国の仕組み」という本があったら、一通り読破して「なるほどなぁ」という感想で終わる。

一方で、想像力を働かせながら読書をすると、不要な部分は捨象しながらも、「こうやって末端構成員を惹きつけているのか、この部分においてはわが社でも・・・」というように、自分にとっての身近な事象に置き換えて読むことができる。

 

ただ読む」だけでなく、実際の自分の生き方に「役に立つ」を考えて読むことが必要だ。

すぐに「役立つ」ことはすぐに「役立たなくなる」

こうして読書をすると、本を読むことが自分にとって「意味のあること」として意味を為してくる。

しかしながら、池上氏は本書の後半部分で「すぐに役立つことはすぐに役立たなくなる」という論を展開する。そうすると、前述した内容は結局「役立たなくなる」。そうなるのは時間の問題だ。

ここからは解釈が異なるのだろうが、池上氏はそれでも、「読書はざるで水を掬うようなもの。ないよりはまし」的な話をする。「ないよりはマシ」は言い過ぎだが。

結局、読んだ後、または最中でも良いので「心に溜めること」、そのまま一旦考えることが必要なんだと思った。数字や統計データが全てでなく、直観も大事なんだということをこの部分でそれこそ直観した。

学ぶことは生きること

 

池上氏は、自分を大の読書好き、知識好き、とした上で、最終章を「学ぶことは生きること」という形で締めくくる。

戦後の日本に絡めながら、日本社会の教養に対する価値観はいつの間にか変化してしまったことを指摘する。以前は教養はすごく「高貴なもの」であったのに対しいつの間にか「修養」、つまり「すぐに役立つもの」の方に流れてしまったと述べる。

カントやヘーゲルを読んで思考を深く巡らせるよりも、すぐに実践で役立つ、そういったものを教養として捉えるように変化していったという話。

そして本書は「学び続けることは生きること。皆さんはそれにどんな意味があると思うか」という形で章を終える。

提言通り、僕も考えてみることにした。

「学び続けること」と「ブログを運営していくこと」

はてなブログに色々と書くようになって、もうすぐ一年と半年くらいになる。

この間に色々と気づいたことがある。

まず、全うな知識・専門性がある人は「どう見せる」を意識なんかしなくても、ガンガンバズるし、たくさんの人に読まれている。

 

はてなブックマークのエントリーを巡っていると、びっくりするくらい専門知識の高いものから、感情任せに書きまくっているけどもなぜか惹きつけられずにはいられない文章に出会う。リンク先は忘れてしまったけど、「アメリカに転職するのがいかに難しいのかを実感し、結局失敗してしまった」的なエントリーはまさにそんな力強さがひしひしと伝わってくるエントリーだった。

 

一方で、ある程度内容を整え、一瞬でも役立つ内容であれば、大バズ等はないにしろ、そこそこ読んでもらえるということも分かった。

このブログも確実にそっちの方向に向かっている。恥ずかしくてこのブログの著者だなんて、自分の周囲の人間にはとても言えたものではないが、それでも少しでも読んでくれる人がいるのは嬉しい。

でもなんでそんなに恥ずかしいのか。お金に関するせせこましい情報が多いからだ笑

 

さらに言えば、お金に関しての記事が増えれば増えるほど、日本人のモラル的には抵抗を覚える人が増えるし、自分もそんな感覚を抱くことも分かった。僕はまだそこまで激しい経験はないが、お金のことを書くと叩かれるという傾向があるということも分かった。

 

でも、ふと立ち止まってみると、お金に関することを話題にすることが「悪」と言うこと自体が、根拠も何もない。

 

経験則でしかないが、海外では、お金のことを主張するのは極めて当たり前だった。

 

仕事で海外のクライアントと食事をした際には、「あなたのその仕事は将来の何につながるの」とか「報酬はいくら」などという質問があたり前に飛び交っていた。

 

お金に関することに言及することを「恥」と考えるのは良くも悪くも日本人の美徳でしかないんだと思う。国際的な状況、自分の経済状況を考えてみても、日本に関してはお金を巡る問題はよりシビアになってくるのは確実だ。いつまでもこの状態で良いのかなぁとか結構思う。ドライではあるけれど、もっと当たり前のようにお金の話が出てくる世の中が来る日は近いかもしれない。

 

僕の場合は、その現実を受け入れつつ、かつお金もたくさん稼ぎながら、結局のところ僕は「どう生きたいのか」。それを時々立ち止まって考えながら日々を進んでいきたい。少なくとも「お金がほしい」「教養が身に着けたい」「独力で生きる力がほしい」「一人だけでは生きたくない」。こんな考えが心にあることははっきりしている。