Kitaland

10代で札幌に移住して気づいたら30代半ばになっていました

コロナの時代の会社員生活

飯田亮介さんが訳した『コロナの時代の僕ら』(著者 パオロ・ジョルダーノ)がぐっさりと刺さった。

以下、著者あとがきより

苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。

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だから、緊急事態に苦しみながらも僕らは――それだけでも、数字に証言、ツイートに法令、とてつもない恐怖で、十分に頭がいっぱいだが――今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない。30 日前であったならば、そのあまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために。たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。

 

『コロナの時代の僕ら』(著者 パオロ・ジョルダーノ)

 

こう述べた後、「僕は忘れたくない」という書き出しで、いくつもの著者の忘れたくないことが挙がる。その一つ一つが、当たり前なのだが的を射ていて、そしていつかきっと忘れ去られてしまうこと、本当は大切なのに見過ごされてまたもとの日常に飲まれていくであろうもので、会社員として日本で働く自分にとっては共感と苦しみを記録するものばかりだった。僕もまた「僕は忘れたくない」という書き出しで、コロナ禍の日常のことを書くべきなのかもしれない。

 

 

 

僕が新型コロナウイルスに神経を尖らせはじめたのは一月下旬からだ。仕事の都合で海外へいくこともある自分にとって、1月30日にWHOが発令した緊急事態宣言はまるで他人事には思えなかった。

 

その後、札幌では札幌雪祭が強行されて(僕は札幌雪祭りはウイルス拡散の原因だと思っている)、ウイルス感染者がどっと増え、2月28日には北海道から緊急事態宣言が発表され、僕の職場大混乱に陥った。

 

「大混乱」と表現したが、実際のところは社員の大半が「大げさすぎる」「このような宣言を発令して責任がとれるのか」という批判めいたものが大半だった。

ここで会社の悪口をひたすら綴る気はないが、この頃から僕はウイルスに対する警戒心について、周囲の社員、そして会社の上層部と温度差を感じていた。

「大丈夫」と思いたいだけではないのか。相手はほとんど対策のしようがないウイルスなのに、周囲の反応はある意味冷静だった。もしかしたら冷静を装っていただけなのかもしれないが。それでも当たり前に狭い空間に社員が集められて会議が繰り返され、北海道の3月はほぼ冬に当たるので窓は密閉され・・・ほとんどの中小企業が同じような境遇で3月を過ごしたのではないだろうか。結果的にクラスターに見舞われなかったわが社はラッキーだったと思える。

 

同時に(多少時期はずれ込むかもしれないが)、ダイヤモンド・プリンセスから下船した人の中に検査漏れがあったというニュースを耳にして、いよいよ政府に対しての信用も著しく低下した。PCR検査数が全然足りていない中で、布マスクの配布に90億円だか466億円だかの予算を使う政府に対しても、悪口を言うどころかもう意味が分からないという感情になった。(そしてそのマスクは今も届いていない)。

 

会社もそうだが、この国を支えているトップの方々も結局のところ信用できない、という感情が募った。それが緊急事態宣言下で卑屈になった僕だ。

 

一方で自分の中で、自分の人生を自分だけで何とかしたいというポジティブな感情も生まれた。コロナ禍で、自分より権威が上の人間の判断に身をゆだねることがいかに危険なことかを思い知った。会社も国も、緊急事態に対して十分な経験と対策があるわけではない。絶対的な価値基準などないと思い知った。会社も国も、自分たちの健康は守ってくれない。当たり前のことだが、会社が守るべきは会社それ自体だ。会社の存続がひいては僕らの生活の、幸せに貢献しているわけだから、このこと自体には文句をつけようもない。

 

時間軸を戻すが、3月から身の危険を感じた僕は年次有給休暇を積極的に利用するようになった。年次有給休暇についてもきちんと調べ直したが、想像していた以上に制度は充実していた。ただ使われていないだけ、もしくは僕が使いこなせていないだけだった。今までは同調圧力に負けて無駄に消失させてしまっていたが、三月だけで残っていた有給の3分2以上を使った。僕の家には小さな子供もいるし、年老いた両親にウイルスをうつしてしまう危険も高まる。

結果的に年次有給休暇の取得によって僕はさほど立場が危ぶまれることもなかった。気にしすぎだけだったのかもしれない。

 

コロナ禍は同調圧力に抵抗するきっかけとなった。命を天秤にかけた時、それより重きをおくべきものはそうないと実感した。

同時に、僕は見えない敵と戦っていただけで、年次有給休暇に関しては、とることは阻止されなかった。僕の会社は比較的恵まれている部類に入るのかもしれない。

 

4月はコロナ禍の会社員としてはかなり辛い時期だった。

4月12日に北海道と札幌の共同声明が発表された。しかし会社の状況は変わらなかった。「業務に支障をきたす」「この状況でどうやって顧客をつなぎとめ続けるか」という意見ばかりが幅を利かせた。社員の健康状態はどうなるのか、勤務を続けることのリスクはどうなのか。僕のもつこのような考えは発言を許される雰囲気ではなかった。同じように考えている社員は増えていたのかもしれないが、僕よりお利口さんで立派な方々は、このような愚痴を公の場でこぼすことはなかった。この頃は、新聞の投書欄や働き方を見直させる記事がだけが僕の友達だった。

僕に会社方針に抵抗する術ははなかった。家計の全てを会社に依存している僕にとって、会社と戦うことのできる土俵は存在しない。アメリカの富裕層のように危機をいち早く察知して田舎の別荘に逃げることもできないし、どこかの国の空港社員のようにストライキを決行することもできない。会社と戦ったところで勝ち目はないし、経済的基盤が崩壊するだけだ。

 

こうして僕はコロナ禍で、自分の人生がいかに会社に依存しているのかを思い知った。

 

ただ、断っておくが、僕の会社に悪気があったわけではない。また、僕自身が会社に敵意を抱いているわけでもない。悲しいかな、日本の中小企業の大半がそうであるように、緊急事態だろうが何だろうが、会社活動を停めた経験がないのだ。

「止まる=会社としての死」を連想せざるを得ない。僕が恨むべきは自分の会社ではない。恨むとしたらこんな仕組みになってしまった資本主義社会なのかもしれない(もちろんこの社会を転覆させたいとかそういう発想は毛頭ない)。

 

5月のゴールデンウィークを挟んで、日本全体の雰囲気ががらりと変わった。

2月にはマスクをして出社する僕は警戒心が強すぎるやつだとやや変わり者扱いされていたのに、5月に入ってからはマスクを着用しないヤツが異質な者として扱われるようになった。新聞の投稿欄にも、マスクをできない人の境遇をわかってほしいという類のものをよく目にするようになった。ついに自警警察なるものまで現れた。

会社でも、マスクの着用が当たり前になり、ついに時短勤務もはじまった。

何もかもが遅いと思ったが、それでもないよりはマシだと感じた。僕の精神は4月から崩壊に近づいていたので、会社側が感染予防側に舵を切ってくれたのは本当に幸いだった。

 

ただ、そんな中でも気づいてしまったこともある。

会社が感染予防側に舵を切ったのは、会社独自の英断というわけではない。もちろんわが社には社長や会長がいて、最終決定は幹部会を経て彼らが行うわけだから、その点においては会社側の英断なのかもしれない。

 

だけど明らかなのは、「国が舵を切ったから会社も方向性を変えた」、そういうことだ。僕らサラリーマンが上司の顔色を伺いながら自在に自身の意志を変化させるように、僕らの上司もまた幹部や社長の顔色で指示を変える。ここまでは分かっていたことだが、その絶対的とされていた幹部や社長もまた国の方向によって指針を変えるのだ。

 

だとするときっと、そうした方々が信じて疑わない国もまた、それより上位の国・・・の顔色で判断が変わってしまうんだろう。

僕らが依存している世界が、いかに曖昧で移ろいやすいものかを思い知った。

僕が全く手の届かないところで意思決定が施され、それが指針となるのならば、僕らにはもう抗う術はない。

自分の及ぶ範囲で自分で意志決定をするしかない。

生き方自体を自分で見つけていくしかないと思い知った。

 

 

5月に入って国の方向性が変わったことは、実は素敵な効果も生み出していた。僕はこのことも忘れたくない。

だけどこのことはまた後で書くことにする(主に家族と過ごす時間が増え、大切なものを実感したこと)。

コロナは僕らが住んでいる世界の輪郭をはっきりとさせた。

 

自分が頼っていた曖昧でつかみどころのないものが実際に頼ってはいけないものであったこと。

 

自分の経済的基盤がいかに脆弱であるかということ。

 

 

はっきりとしてしまった今いる世界の輪郭をとらえながら、僕はぼんやりと眠りにつくことにする。

なんて文章を綴りながら僕が今日帰宅して今いる世界は、缶ビールの蓋をぷしゅっとあけて、娘が寝て静かになった部屋で、居間でテレビを独占する妻の斜め後ろで細々とブログを書いている世界だ。コロナの流行はわずかながら終息したように見せられていて、間もなく社会は経済を回すためにまた動きを加速するだろうけど、せめてこんな日常だけは守りたいと思うし、コロナ禍で実感できたことは時々思い出して生きたい。

 


コロナの時代の僕ら