Kitaland

10代で札幌に移住して気づいたら30代半ばになっていました

胆振東部地震が起きた9月6日は長く疲れた。人生のありがたみを思い知った。

今でも家の前を大型車が通る度にびくっとします。

揺れに敏感になっています。でも、元気です。

地震から三日が経ちました。

9月6日午前3時8分 

それは突然に来ました。まさか自分が地震の被災者になるとは。

 

深夜3時過ぎ、強烈な揺れに飛び起きました。直観的にヤバい!と思い、すぐにテレビをつけます。スマホの画面には「地震」の文字が。

テレビに緊急地震速報が映ったのもつかの間、プツッと・・・とテレビ、家の電気が消えました。窓を開けても街の灯りが消えていました。不気味でした。向かいのマンションから懐中電灯で何人もの人が外の様子を覗いていました。

 

まずは落ち着こうとトイレへ行きました。その後、台所へ行くと食器が散乱していて、ビールのコップが割れ、床に散乱しています。食器の破片も散らばっています。

隣の部屋では電子オルガンが真横にぶっ倒れていました。

手を洗おうとすると水が出ませんでした。断水です。

これは本格的にヤバいなーと思い、着の身着のまま貴重品を持って外へ出ました。

時間にして3:40頃だった思います。

近くのセブンイレブンに行きました。

やはり店内も真っ暗で、お酒やワインの異臭が漂っていました。床を見るとワインやら焼酎やらが散乱していて、割れたお酒はそのままで、なんと営業をしてくれていました。店内は常にビービービーと警報のようなものが鳴っていました。

 

とりあえず一日分程度は食料と水の確保が必要だと思い、適当な数の水やおにぎりを買い込みました。この時点ではまだ食料が残っていました。妻の方ではパンを買い、家へと戻りました。

帰宅途中、たくさんの人が道路に座り込んでいました。

 

家に帰ってからもなかなか寝れませんでした。仕事がどうなるか、とか、公共交通機関がどうなるかとか、情報源はスマホだけで、電池を気にしつつ、yahooニュースで状況を確認していました。

確認する限り、大地震レベルの被害だということが分かってきたので、自分が無事であることを本州の親や兄へと連絡を入れておきました。

 

結局一睡もできず、朝になって状況のマズさが明らかになってきます。

これはまずい!と思い、再びコンビニを目指していきましたが、近くのファミマはやっておらず、セブンはすでに長打の列です。

それでもインスタント食品や簡易のご飯を買い込むことができ、とりあえず一日分の食は確保できました。

 

家に帰ってどっと疲れがでてきて、どうせテレビもつかないし、できることもないので朝方10時頃まで軽く仮眠をしました。

9月6日の朝

目が覚めると、スマホにたくさんの連絡と混ぜこぜの情報が入ってきていました。本州でもかなり大きく報道されているようで、常にyahooニュースのトップに出ていました。

その中で目を引いたのが、

「札幌全域で断水予定!時間は3時間後!自衛隊経由の情報です!」

「8時頃に本震が来ます!注意してください!」

「DoCoMoの電波塔に供給できる電力が限られているので、間もなく携帯もつながらなくなります。早めの連絡を!」

の3つでした。

どれも情報元があいまいだったため、ホームページで確認しましたが、そのような情報は得られませんでした。

また、それらの情報がひっきりなしにLINEに送られてきて、大切なスマホの電池がじわじわと減ってきて、やや焦りを感じました。

 

悪意はないにせよ、緊急時の情報リテラシーについて、当事者として危機的なものを感じました。自分も気をつけようと思いました。

その後、ヤフーニュースで震災デマについてのトピックが挙げられ、やはりデマだったのかとほっとします。

 

この地震に関しては自分はついていました。

電気もとまり、水もとまりましたが、幸い命に別状はありません。

この日もスーパーに食料を探しに行くほどの元気がありました。

また、真冬に起きたわけではなく、翌朝からは晴れていたので気持ちも少しは支えられました。

 一方で、厚真を中心に胆振地方の状況は厳しく、何とか助かったり、被害が最小にとどまってほしいものです。

月並みですが、地震にあって日常のありがたみを心底感じました。

 電気がないと気分まで滅入った

私の地区は9月6日、7日昼までは停電、断水が続いていました。

日中こそは晴れていてそこまで苦も無く過ごせましたが、夕方からは明かりのない生活がはじまりました。

ランプで食べる夕食は単純に気分が滅入りました。それでも家族がいるだけマシでしたが。

食べてからはスマホの電池を守りたいということもあり、そこそこで寝ることにしました。夜9時30分頃。気が張って寝れないかと思いましたが、あっさりと深い眠りに落ちました。相当疲れていたようです。

 

9月7日からその後

7日午後、帰宅すると停電が終わっていました。

電気のありがたみを思い知りました。嬉しさがとまりません。

テレビをつけると厚真や清田地区の惨状がピックアップされていました。

辛いです。

 

ただ、テレビやネットで報道されている以上に札幌民は元気だと思います。今日は札幌駅まで様子を見に歩いてきましたが、大丸も営業をしており、ヨーグルトなどの乳製品をのぞけば、肉も魚も販売されていました。コンビニはまだまだ元気がありませんが、すごいペースで復旧が進んでいるようです。

本州の両親にあまり心配もかけたくありませんので、元気な様子も少し報道されてほしいです。

 

結局のところ、僕は自分の運の良さを思い知っただけなのかもしれません。

謙虚さも明るさも大切にしたいものです。

 

それにしても、たまたま懐中電灯を用意していたからよかったものの、水も予備バッテリーも十分なものを用意しておらず、かなり不安な思いにさらされました。自分の防災意識の低さを思い知らされました。